今、解き明かされる飛騨の匠伝説
かつて飛騨には『両面宿儺(りょうめんすくな)』という妖怪がいました。
風貌は、顔が頭の前後に二つ手足は四本、さらにその手には弓矢、剣を持ち、動きはいたって俊敏なうえに怪力な妖怪と言います。この両面宿儺は、朝廷に反逆し、民衆を苦しめていたため、朝廷が差し向けた武将によって退治されたと日本書紀には記されています。
それ以降、飛騨への朝廷の風当たりは大変強く、
租税の変わりに飛騨からは『公人(こうにん)』を毎年十名、
国が行う建築事業に差し出していたというのが定説です。
一方、飛騨の地は古代より良質な木材を産し、飛騨人は伐採技術だけでなく、手斧(ちょうな)や差し金、墨壷という三種の神器を使う高度な術を持ち合わせていたため、朝廷が都づくりのために『飛騨の匠』を招きいれたという説もあるのです。
日本最古の仏像といわれる飛鳥大仏、釈迦如来像(606年)を作ったのが飛弾市河合町生まれの止利仏師で、わが国仏工の祖といわれ、法隆寺の釈迦三尊像の光背銘には「司馬鞍首止利仏師」と明確に刻まれています。
このように飛騨人は当時から高度なテクノロジーを持っていたのは間違いがないのですが、飛騨人はどのようにこの技術を身につけたのでしょう。それを突き詰めてゆくと、「両面宿儺」に辿り着くのです。
つまり、両面宿儺なる妖怪の正体は、
飛騨人に高度な建築技術や木工技術を伝授した
渡来人(朝鮮人)がその正体というわけです。
朝廷はこの渡来人の持つテクノロジーを
「顔が二つに手足が四つ」、さらには「手には弓矢、剣を持つ」などと
比喩し日本書紀に記したのではないでしょうか。
いずれにしても日本の歴史の中には数え切れないほどの匠がいます。
それら「匠の心」は現代日本の匠たちにも
脈々と受け継がれていますが、その心のあり方の基本は
飛騨の匠にあると言っても過言ではないのです。